「天は自ら助くるものを助く」 words by S.スマイルズ

私たちが求めているのは、施しではない。仕事だ。
抱きつづけてきた、問い

グローバルにおける日本のプレゼンスについての課題感や小学校時代の原体験から、大学では迷わず国際関係学を専攻しました。最終的には修士課程において、日本の国際社会の一員としてのリーダーシップの在り方をODA(Official Development Assistance:政府開発援助)外交の領域で考察。戦争や様々な地球規模課題の根底にある貧困撲滅の鍵は「教育」、その基盤である「母子保健」を考えた時に「母親のエンパワーメント」にあるのではないかと考え、そのために「オカネ」はどのように使われているのか、また、どのように使われるべきなのか、に関心を持ちました。

そのときの、出会いが。
大好きな相田みつをの言葉ですが、その時、国際保健領域で著名な素晴らしい教授と出逢い、先生のご厚意でカンボジアの国、民間、非営利と多様な組織のプロジェクトの現地視察の機会をいただけることに。JICA(Japan International Cooperation Agency:日本国際協力機構)の国際母子保健プロジェクト、当時、民間企業としては日本テレビがCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)として展開していたHIV/AIDS患者の方々や村の母親のエンパワーメントを支援するプロジェクト、そして偶然にもプライベートで訪れたシェムリアップで出逢って友達になった青年が車を所有していて、観光だけでなく、国連から派遣された日本人医師の先生や、孤児院、地雷で手足を失くした方々の支援をする日本人の方のところへ連れて行ってくれる幸運に恵まれました。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」
現地視察の結果、得た体感知です。援助としてオカネそのものを渡すことができたとしても、オカネを自らの手で生み出していく仕組みを創ることができなければ、持続可能な社会は創ることができない。そのためには、ヒト・モノ・コト・情報を如何に効率的・効果的に管理運営していくことが鍵となるのではないかと痛感する経験となりました。

経験したこと以上のことを想像することは、難しい

卒業後は、まずは自分自身がおカネを生み出すチカラをつけたい、強い組織づくりはどのように為されるのかビジネスの現場で学びたいと考え、大手外資系製薬企業、ユーザーとサービス提供者のマッチングを事業軸とする大手広告企業、大手HR(Human Resource:人財)企業や中小企業など、営業・マーケティング業務を中心に幅広く経験しました。人生とはわからないもので、ソーシャルビジネスを打ち出してノーベル賞を受賞したグラミン銀行のユヌス氏に興味関心を持ったことがきっかけで、南アジアのバングラデシュという国という国とご縁ができました。

最初にご縁ができたバングラデシュとの仕事は、日系ブランド自動車企業と現地財閥ディストリビューター企業の利害調整をする小さな専門商社での新車の輸出業務とマーケティング支援業務で、トップ1%の富裕層相手の仕事であったことからアジアで最貧国といわれていたバングラデシュのイメージが一変。バングラデシュは1971年に独立した国ですが、当時、焼け野原から創業者会長が弟と一緒に起業し、5人でスタートした事業が成功。いまでは40以上のビジネスとグループで25,000人の従業員を雇用する一大財閥になったというのだから、本当に凄いです。ただ、創業者会長と接している中で、新興国の勢いということも確かにあるかもしれませんが、事業の成功の大きさを決めるのは、経営者の器量にあるのではないかと考えるようになりました。元々不動産を持つ大地主で、米国MIT(Massachusetts Institute of Technology:マサチューセッツ工科大学)を卒業しているという恵まれたバックグラウンドも、確かにあります。けれども、会長の考え方は一般的なそれとは明らかな異なっていることに気づいたのです。もっとも印象的だったのは、みんなと一緒に食事をする時は、まずはみんなに食事をとり分けてあげるシェアの精神。そして、創業者会長と初めて出会った時の言葉が「大きく考え、大きく行動しなさい」だったことは、多分、一生忘れることはないと思います。こうした経験は、一般的な企業でサラリーマンとして働いていた時には、まったく想像ができませんでした。飛び込んでみて、初めてわかったことばかりでした。バングラデシュは、私にアントレプレナーシップこそが私が抱き続けてきた問いの一つの答えであること、また、コンフォータブル・ゾーン(Comfortable Zone:慣れていて心地がよいと感じるゾーン)をでてみて見える景色があることを教えてくれた。私にとっては、そんな大切な国となりました。

国士であれ

個人として独立して仕事をするようになってから、再びバングラデシュと巡り合い、仕事をご一緒することになります。8年の歳月を経て訪れたバングラデシュ現地は、2019年にはADB(Asia Development Bank:アジア開発銀行)がその成長率を域内のベトナムを抜いた8.1%で試算するほど。国の悲願だったMRT(Mass Rapid Train:都市高速鉄道)も遂に建設を始め、建設現場を訪れた時は大変感慨深いものがありました。

以前に一緒に仕事をした親しい友人も、ちょうどモーターショーがあるとのことで展示場に連れて行ってくれましたが、日系ブランドもヤマハやホンダ、スズキも加わり、賑やかさが増していました。

8年経って、手伝ったバングラデシュの企業は独立系IT企業だったことも、時代の変遷を感じます。創業から20期目を迎える従業員規模は380人ほどのIT企業でしたが、創業者社長ご夫妻のお人柄がよく行き届いた企業という印象で、バングラデシュの益々の成長を一緒に信じさせてくれる優秀なタレントが豊富に揃っていました。

「わたしは、ITで国を興したいと思っている。ITによって人々が自由にいつでも必要な情報にアクセスできる世界を創ることができるならば、人々はエンパワーメントされ、貧困に苦しむ人を減らすことができるはずだ。」

そんな創業者社長の志に共感して手伝い始めたプロジェクトでしたが、ここでも、私はバングラデシュからとても大切なことを教えてもらいます。
天は自ら助くるものを助く。S.スマイルズも説いた「自助独立の精神」の確立こそが、また継続的な自己鍛錬によってのみ修得できる「真の知性」の獲得こそが、私が抱き続けてきた問いへの答えなのだと。

創業者社長ご夫妻は、バングラデシュの1971年の独立戦争を学生レジスタンスのリーダーとして戦い抜いた、正真正銘の国士でした。当時、イギリスの国策で宗教がイスラム教であるという理由だけで、インドから切り離されて東パキスタンとして一緒にされてしまっていたバングラデシュ。ムスリムという点が同じであるだけで、母国語も、文化も異なります。独立戦争が勃発した背景には、パキスタンがバングラデシュの母国語であるベンガル語をとりあげようと弾圧し、ダッカ大学(日本でいうところの東京大学)の学生が不幸にも亡くなったことがあります。インドにまたがるベンガル地方は歴史的にも文化教養がとても高いエリアで、詩聖として国際的にも、インドでも、多く尊敬を集めるタゴール(タゴールは岡倉天心とお友達だったので、横浜三渓園等、何度か日本を訪れています)を初めとするノーベル賞受賞者を何人か輩出しているほど。そして、ふと想うのです。母国語を護るため、自由獲得のため、そして何よりも自国の民のために、勝つまで闘うことができる知力・精神力は、すべて母国語を誇りとして刻み込まれるほど教育や教養文化を大切にしてきた国だからこそ培われたのではないか、と。

PAGE TOP